結局英会話に文法はいるの?いらないの?



こんにちは,ゴリです。今回は日曜コラムということで英会話における文法の要否について個人的な見解をお話します。

 

目次

 

「正しくあれ」という呪縛

こんな話を聞いたことがあります。

ある日本人の語学留学生について「事前のペーパーテストは満点だったのにまったくしゃべれない」と不思議がる先生の話です。

日本人は英語を「教科」として習います。教科においては正解と不正解が峻別され,点数がつけられます。学校から離れてもやれTOEICだ,やれ英検だと点数や資格で”英語力”が測られます。その結果,ややもすると「いつも正しい文法,正しい発音で話さないといけない」と思ってしまう。

 

言いたいことを伝える

たとえば,

1. あの家 屋根赤くが 私のです。

2. あの         赤                い             屋根                                      の        家              は 私の            家です。

 

という2つの文は同じ内容を表現していますが,どちらが理解しやすいでしょう?

1は文法的に間違っていますが一応すばやく意味は通じます。一方,2は正しい日本語ですがもう読むのもなんだかねって感じです。

話すときも間違ってもいいからとりあえず話せば聞き手は相手がノンネイティブとわかってますのでがんばって聞いてくれる人が多いでしょう。

 

なんだか知らないけど会話が成立してるぞ-口で話すんじゃない,心で話すんだ

その昔,語学留学していたときに母親を呼んで旅行したことがあるんです。

母はほぼ英語で会話はできませんが,お店のレジで小銭を広げながら何やら店員の方と”話をしている“んです。で,通じてるみたいなんです。

その後,この母はダチョウ牧場でジェスチャーだけでダチョウを呼び寄せるという離れ業も披露しています。

伝えようとする気持ちがあれば聞いてくれるし,ダチョウも寄ってくるんだよと(笑)。

 

じゃあ英文法とかいらないじゃん

「じゃあ英文法とかいらないじゃん」という結論になりそうですが,実は自分は文法大事派なんです。それは子供と違い大人は理解してから覚えるほうが早いと思っているからです。次の文をみてください。

я говорю по японски(私は日本語を話します)

これを「ヤー ガバリョ パイポンスキ」と何度も聞いたり音読して覚えるよりも,

я=I,говорю=speak,по японски=Japaneseと理解してからおぼえたほうが覚えやすくないでしょうか?

学びのスピードを上げるためにもある程度の文法知識は必須だと考えています。

 

スポーツのアナロジー

別の例えとしてスポーツをあげてみます。

最近YouTubeの動画で見たTEDの短いビデオクリップによると「打ち方」を気にすると「打つこと」に集中するよりも結果が悪くなるそうです。

しかしこれは「試合」での話で,練習,特に反復練習のとき「打ち方」を気にしないで上達するものでしょうか?

私はテニスをしますが,少なくとも練習,特に球出し練習のときは結構打ち方を気にします。

そして無意識にできるようになるまで反復練習し,ラリーや試合では「打つこと」に集中するというのが理想的な形じゃないかと思います。

 

結局英会話に文法はいるの?いらないの?

結局,文法というのは言語の約束事ですから「守るに越したことはない」ものではあります(ただし「犯すべからざる絶対のルール」と考えるのは行き過ぎです)。

そしてこう考えられないでしょうか?

つまり,文法はあなたを縛るものではなく,覚えてしまえば「言い方」ではなく「言いたいこと」に集中できるのでむしろあなたを開放するものだと。

 

まとめ

英会話にせよ,英語日記にせよ,「正しさ」の前にまず話すこと・書くこと。そしてその後に文法的な正しさ追い求めていくことが大事じゃないかと。

このブログではそのための手助けになるような記事をどんどん書いていきますので乞ご期待!(最後は宣伝かい!と^^)